この想いを隠すことはとても簡単なことだった。
誰にも見せず、気づかれなければいつしか消えるものだと思い込んでいたのは幼さゆえの過ちか、それとも―
3.海は揺らぐ
「しばらく見なかったな。ルーピン」
彼は最後に目にした学生時代からほとんど変わっていなかった。
見透かされるような目線も、神経質に引かれた顎や三日月の眉も、よく通る声もそのままで、まるで学生時代に戻ったようにリーマスの胸は躍った。
リーマスは彼が無事だったことを心から嬉しく思った。
こんなに気持ちが明るくなったのはどれくらい久しぶりだろうか。
「ダンブルドアにこれを届けるように頼まれたんだけれど、まさか届け先が君とは知らなかったよ」
「ふん、誰に届けるか聞かないで依頼を受けるとはとんだ間抜けもいたものだ」
その物言いも自分の知るセブルス・スネイプそのもので、リーマスは自分を此処へ寄越したダンブルドアに感謝した。
しかし、変化のない彼を見て取り残されたのは自分だけではないのだと安堵する気持ちと小さな違和感が生まれた。
「色々あったけど、元気そうだね」
会うことのなかったここ数年の出来事を『色々』の一言で要約することは難しい。しかし、リーマスは敢えてそう言った。
具体的に彼の前で口に出すことはできなかった。
特に、ジェームズの死について言うことは憚られた。
「随分、休養したからな。そろそろ就職先を探したいのだが、当分は魔法省に付き合わなければならないらしい。退屈で仕方がない」
まるで何事もなかったように彼は平静だった。
何かおかしい。
「それで、読書というわけかい?君は学生時代、本の虫だったからね」
「どうしてここにいる?」
「私も休養ということかな」
言葉を濁すリーマスにセブルスはそれ以上追及する気がないようだ。そして、おもむろに部屋の中に入っていったセブルスは、学生時代には決してしなかったことをした。
「ということはおまえも暇だな。茶くらい出してやる」
セブルスの誘いはリーマスを驚かせることに成功したが、あからさまに驚くのは失礼だろうと咄嗟に考えたリーマスは頂戴するとだけと言って部屋に入った。
セブルスはリーマスに適当な椅子に座るように席を勧めて、すでに沸かしてあったお湯をテーブルのポットに注いだ。あたりにダージリンの香りがしてセブルスは少し、顔を顰めた。
その表情を見てリーマスは茶葉の質が悪いのだなと思った。
―『セブルスは食べ物に一欠けらの興味も持っていないのに紅茶だけはうるさいんだ。自分の部屋にかなりの量の葉っぱをどこからか持ってきてて、消化しきれないと自分の茶器で淹れてくれたりするんだよ。
茶葉の質がいいのか、セブルスの腕がいいのかはわからないけど、まぁ贔屓目に見ていいならセブルスの腕だよ、あれを飲んじゃうとしばらく他のが飲めなくなるね』―
「紅茶を一から入れてもらうなんて久しぶりだ」
嬉しそうにリーマスは言う。
沈黙がしばらく続いた。お互い、何を話していいのかわからないらしい。
紅茶をすぐに飲んでしまったリーマスは今度は自分が淹れようと思い、席を立った。
「おまえの淹れたものなど、きっと飲めたものじゃない」
と独断と偏見で言い切り、セブルスは手にしようとしたリーマスよりも早くポットを取り、お湯を入れるべく席を離れた。
することのなくなってしまったリーマスは部屋に入ったときはまだ寒くて脱いでいなかったローブを脱いだ。
するとその拍子にポケットから何かが落ちた。
紙に包まれたダークブラウンの髪を見てセブルスはそれが少し遠くからでも誰のものかすぐにわかったらしい。
「どうしてそんなものを持っている」
彼の形見を持っている自分を未練がましいと思っているのだろう、セブルスはリーマスに詰問した。
少なくともリーマスにはそう映った。
「わからない。ありきたりかもしれないけどジェームズがこの世に存在していたということを形に残しておきたかったんだと思う。
彼の息子は残されたけど彼はジェームズじゃない。
いつか会うときに彼をジェームズの思い出と重ねて見たくなかったんだ。だからこういう形式をとった。
おかしいね、両親が死んだ時すら僕は彼らの存在の証を形で残そうとはしなかったのに」
それからリーマスは箍がはずれたようにここ数年間のことを話し出した。
各地に点在する人狼達との連絡係になりヴォルデモード側についた人狼の説得が自分の仕事だったこと。
そのために、自分は彼らと別れて行動していたこと。
後悔。
自分達の友情はこんなものだったのか、シリウスはたしかに危ない傾向はあったが闇に落ちるなんてないと思ってたのに。
ここまで心情を吐露したことはここ数年の彼からするとかなり珍しいことだ。
何がそれをさせたのか彼はわかっている。
関係の差異はあれど、自分達はジェームズという共通の人物を亡くした。
関係の差異。それが問題だ。
リーマスにとってジェームズは親友だ。
しかし、セブルスにとってのジェームズは一言では表すことができないだろう。すくなくともリーマスはそう見ている。
当事者と少数の人間を除くほとんどの人は二人は険悪の仲であったと思っている。
しかし、一体何人の人間が気づいていただろう?
ジェームズとセブルスがお互いを憎からず思っていたことを。
おそらく、自分だけではないだろうか。
少なくとも、自分と同じくジェームズと始終行動を共にしていたシリウスやピーターは気づいていない。もしシリウスが知っていたらあの性格だ。ジェームズやセブルスに突っかかるはずだ。
ところが自分はしなかった。
なぜか?
きっかけもその理由すらも明確にはわからないが、リーマスはセブルスのことが好きだったのだ。
もちろん、友達としてではなくジェームズと同種のものとして。
二人のどちらかに問い質して、二人の関係を彼らが認めてしまったら耐えられなかったからだ。
曖昧なままでよかったのだ。
そうすれば、いつかセブルスに対する想いは時間が消してくれるだろうとその当時のリーマスは思ったのだが―
リーマスが卒業してからの数年のあらましを一気に言い終えた後、向かいに座っているセブルスは不思議そうに返した。
すでに手に握っているポットの口からは湯気は出ていない。
「どうしてそんなことを言うんだ。ポッターが死んだなどと世迷いごとを言うのもいい加減にしてくれ」
リーマスは初めてセブルスの目にかつての力強い意思が篭っていないことに気づいた。
しかも彼はこちらを見ていない。
もう一度言おうとするが、セブルスの目は焦点を徐々に失っていく。
それとともに持っていた安物のポットが砕けた音がして石灰色の床は琥珀色に塗り替えられた。
ポットの音に気をとられていたリーマスの視線が再びセブルスに向くと、セブルスの体は傾いでそのまま陶器の破片が散らばる琥珀色の床に倒れようとしていた。
リーマスは慌てて破片から彼を守ろうと、腕を引っ張って自分の方にセブルスを引き寄せた。
セブルスの名前を呼んでみるが応えはなく彼は気を失っていた。
腕の中の体温はひどく冷たく、リーマスは思わず彼をきつく抱きしめた。
苦い薬の臭いと骨ばった彼の感触にリーマスは眩暈がしそうになった。
数分後、マダム・ポンフリーと一緒にダンブルドアがセブルスの部屋にやってきた。
リーマスはセブルスがダブルスパイをしていたことをダンブルドアの口から初めて聞いた。
読心術を持つヴォルデモードに対抗するためには強力な閉心術使いになる必要があった。しかし、強力な術を使いすぎたためによって精神的に弱っているのだという。
そしてポッター家殺害計画を聞いて危険を冒してこちら側に知らせてきた以後はリハビリも兼ねてダンブルドアの結界が張ってあるホグワーツ城内で過ごしていた。
ポッター夫妻の、正確に言うならジェームズの、死去は衰弱していた彼の精神にさらに追い討ちをかけたらしい。
ベッドに眠りながら、時折かの人の名を苦しげに呼ぶセブルスをリーマスは見ていた。気を失っているだけなので大丈夫だと診たポンフリーは退出し、診察の途中で血相を変えてやって来たマクゴナガルは診断に安心して授業に戻った。
部屋の中には多忙なはずのダンブルドアとリーマス、そしてセブルスの3人になった。
「もうジェームズとは会えないんだよ」
何度も何度も彼がジェームズを呼ぶのでリーマスは諭すようにぽつりと呟いた。ダンブルドアがちらりとリーマスを見やったが彼は気づかない。
ジェームズとリリーの墓標を見据えていた時のようにただセブルスを見つめていた。
「判っている。エヴァンスと結婚するんだろう」
応えが返ってきた。リーマスの気づかないうちにセブルスは目を覚ましていたのだ。
刺激を与えてはいけないとマダムに言われたばかりだというのにどうして自分はこうも要領が悪いのだろう。
リーマスは自分の浅慮に舌打ちしたくなった。
恐る恐るセブルスを窺い見る。
セブルスの反応はない。
―傷つけた!
どうしようどうしようどうしよう
また傷つけた。あの時は彼の体を切り裂いて、今度は彼の心も引き裂いてしまうのか。
セブルスを傷つけたかもしれないという事柄に囚われていてリーマスは重要なことに気づかなかったがダンブルドアは見逃さなかった。
焦燥するリーマスの背をその皺が深く刻み込まれた手で落ち着かせながら、セブルスに問うた。
「セブルス。とてもくだらないことを聞いて悪いのじゃが、君は今年で何年生になる?」
「7年生ですが。それがどうかしたのですか?」
きょとんと、まるで頑是無い子供のような顔でセブルスはダンブルドアに答えた。
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*)なかなか先に進みません。『薄暮の月』リーマスサイドです。