例えば、真実は一つしかないと人は言う
しかし、それは違う
人は皆、等しく自分だけの他者とはけっして共有できない真実を持っている

人の思考、記憶、その魂の数だけ

真実はきっと存在するのだろう







4.屍泥棒












―ねぇ、ジェームズ?


君なら今の彼にどう接するのだろう

リーマスは思い出の中にしか存在しなくなった親友に問いかけた。
もっともこの状況は明らかに、ジェームズがいなくなったことから来るのだから、そう思うのは可笑しいと彼は自分の問いかけ癖を哂った。





空は灰色に曇り、地は雪に覆われて白い。
セブルスが目覚めてから数日、ホグワーツは雪に見舞われた。
リーマスは生まれたばかりの雪道を歩ていく。
積もった雪は少なく、それは彼の足を妨げるようなものではないはずなのだが足取りは重たい。


ようやく着いた先はホグワーツ城から少し離れた石造りの小屋。
分厚いドアをノックして住人に入る許可を求めるが、いくら叩いても返事はない。
待っていても埒があかないので、遠慮がちにドアを開くとそこには誰もいなかった。

溜息を吐きながら部屋に入る。
部屋の奥の暖炉の火が途切れてしまいそうだったので、リーマスは新しい薪を放り投げてやる
パチリ、という木の爆ぜる音のみがしばらくあたりに響いた



探しに行かなくてはならない。
ここに居られる時間は限られている。あと、1時間もないのだ。
彼に会わなければ、ここに足を運んだ意味がないじゃないか。


面会できる時間はきっかり1時間。
ダンブルドアから告げられたときは短いと思ったその時間を今のリーマスはそうとは思わなくなっている。

急を要するはずなのに、リーマスの動作はリモート操作で動かされる人形のようにのろい。
先程から漏らす溜息すらも自分の物ではないような気にさせた。


それでも彼は外に出るために扉に足を向けた。


納まりの悪い癖毛が湿気のせいでさらにひどいことになっていた。
こんな日は彼も自分と同じように苦労していたのを思い出した。

それらの記憶はリーマスに懐かしさを与えず、肺を錐で突がれたような窒息感をもたらすものだった。


もう少し時が経てば、思い出の持つ特有の哀愁や温かみを感じることができるのだろうか。



今のリーマスにはそうなった未来の自分を想像することはできなかったし、したくはなかった。






リーマス・J・ルーピンから直線距離で200歩ほど離れた先に湖があった。
冬の盛りになると凍結してしまう湖面はまだこの時期には凍っておらず、湖の鈍い色と雪のせいで白くなった畔の2色に世界は支配されていた。

一面真っ白な地面に黒い染みができていた。



鈍い水色に石を投げてみる。
水の冠を一つ作って沈んだ
水面には波紋が3つ


厚手の黒いローブをまとった人影は繰り返し石を投げる。



どうして自分は此処にいるのだろう?
いや、わかっているこれは罰だ
何に対する罰だ?




暖かいものが上から降ってきた。
手に取ってみるとアイボリーのケットだった。

「風邪ひくよ」

ケットと同じく、上から降ってくる言葉にセブルスは反応せず、湖面を見つめる。
凍結することなく、また海のように波打たない湖は大きな鏡の代わりになりそうだ。

不健康そうな顔が見える。鏡の色が悪いのも相まって常よりも顔色は悪い。
ろくに梳かしていない自分の頭の天辺より先に目を向けると自分よりも納まりの悪い茶色の頭と逆光で目元を隠している眼鏡が見えた。


「人の心配をするより、自分の頭の心配でもしていろ。今日は鳥の巣よりも酷い有様だな」
「湿気が多い日はしょうがないよ」


困ったように眼鏡の奥のヘイゼルが笑った。
最近の彼は元気がないようだ。自分がどんなに彼の暖かな言葉や気遣いをいつもどおりに突っぱねても、彼は常日頃そうしているようにふざけた反応は返さず、弱弱しく謝るかそれとももっと穏やかな言葉を重ねるかのどちらかだった。


何かが足りない。
セブルス・スネイプを形成する成分のうちのどれかが

だから、心の奥底で願っていたものが果たされているのに自分は素直に享受できないでいる。

ここ数日、世界には自分以外に彼しかおらず、同級生はおろか教師や授業すら存在しない。
いつの間にか、左腕の闇は灼けて僅かに形を残すのみで、ヴォルデモード卿や配下の死喰い人の気配は全く感じられない。


この状況を幸せというのだろうか。
自分の幸せの定義とは?いや、定義以前に自分は自己の幸福など思い描いたことはなく、現在の状態を幸せと位置づけたのは目の前のこの男なのだ。
自分は生まれて初めて目にした者を親だとインプリンティングされた雛のごとく、それらをただ受け入れているに過ぎないのではないのか?


だとしたら、自分の、僕の意思は
どこにあるのだろう
何を願っていたのだろうか

この男とともに歩きたいと、そう思っていたのだろうか
それは正解のようで全く違う気がする


息苦しさを覚えて、もう幾度となく口にしたことを訊いてみる。

「いつまで、僕はここにいればいい?」

「それは―」

期限などわからない。ただ、今はセブルスの身柄を安全に確保する必要があること。それは記憶の回復よりずっと優先順位の高いものだということはわかる。
ダンブルドアは無菌室にセブルスを隔離した。
石造りの小屋の周囲数百メートルは外部から完全に隔絶されており、事情を知るダンブルドア、マクゴナガル、ポンフリーそして自分しかそこに入ることはできない。
なるべく刺激しないようにすること。

「おまえに言っても仕方がないな」

「ごめん」

何に対して、誰に対して謝っているのかリーマスはわかなくなった。セブルスの問いに答えられないことに対してなのか、セブルスを偽っていることなのか、それとも亡い友に対して裏切りともいえるこの行為を指しているのか。

「どこに行くか決めたのか?」

セブルスの言葉で思考が遮られた。どこに行くと行っても、元の21歳のセブルス・スネイプに戻らない限り彼はどこにも行けない。

「クリスマスの思い出を作ろうって言っていたじゃないか。最後の年だし、のってやってもいいぞ」

そういえば、ジェームズは言っていた。

―最後のクリスマスくらい、恋人と二人で過ごしたいさ。6回も続いた男だけの寂しいクリスマスを過ごしたんだ。7回目は経験したくないね―

リーマスは相手をリリーだと思っていたのだが、考えてみれば彼女とは卒業後に結婚するのだから「最後のクリスマス」ではない。
当然、行き先までは知らない。

「どこにしようか?」

現実には、ジェームズは自分達と7回目になるむさ苦しいクリスマスを過ごしたのだから、きっとどこにも行かなかったのか、近場で済ましたのだろう。そう思うとできるかぎり、彼の願いを叶えてやりたかった。


「違う」

今までの茫洋とした、セブルスらしくない声ではなく本来の質で彼は断定した。

「お前はギリシャに行こうといったんだ。寒いのが苦手だから温暖な場所がいい。アルカディアに行こうと。それで僕はそのときはお前の馬鹿な提案に笑って、嬉しかったのに悔しくて本当はいっても良かったのに、いつもならおまえは強引にでも連れて行くのに結局そうはしなかった」



彼は気まぐれに自分の隣にやってきて、気まぐれに提案をしてくる。
提案は大体が突拍子もないことなのに大体が実現されるから、困ったものだった。
だが、もっと困惑するのはよりにもよって自分が乗ってやってもいいと思うものに限ってあの男は次の日には忘れ去っていることだった。

目の前の男は困惑している。ちがう。そんな表情をおまえはしない。それは僕の表情だ。
決して自分のペースを崩さずに僕を好きなだけ振り回す。
それがジェームズ・ポッターという男だ。

おまえは違う。



「おまえはいつも強引でぼくのことなんかお構いなしで前しか見ていない。なのにたまに後ろを振り返って僕を見るんだ。だから僕はお前を忘れ去ることなんてできなかったんだ。完全に前だけを見ていればおまえを突っぱねることができた。もっと振り返ってくれたら―いや、それはないな。研究に没頭しても、任務に没頭しても頭から離れない」

「セブルス?」

「違う。おまえはジェームズじゃない。あいつはそんな風に僕を見ない」

となりに座っているのにどこか遠慮がちにそっとこちらを覗き込むような視線。常に感じる視線は自分がどれだけ願っても手に入れることはできないものだった。

ジェームズ・ポッターはハンサムではなかったが、とても魅力的で、善で、活気に溢れた天才でそれゆえに他人に無神経だった。


「おまえは違う」


リーマスがどう対処していいのかわからず口を挟めずにいる一方でセブルスは調子の外れたラジオのように喋り始めた。


「ジェームズはたしか、隠れているはずだ。エヴァンスと一緒に。そういえば子供が生まれたと聞いた。そしてあの予言だ。ロードは血眼になって彼らを探したが見つからなかった。しかし、しばらく経って私は3人の居場所が彼らの近しい人から漏れたと聞いた。居ても多ってもいられず、ダンブルドアに報告した。
それから1週間過ぎた頃ダンブルドアがこの家にやってきて」

「もういいよ、セブルス」


リーマスはセブルスを見ていられなかった。
あのセブルス・スネイプが、学生時代決して他人に関して取り乱さなかったスリザリンが乱れきった髪を乱して、皺の寄りきった眉間をさらにきつくして喚いている。

「やっ、てきて、 言ったん、だ」

一気に捲くし立てせいで息も切れ切れだったが、それでもまだセブルスは言葉を吐いた。



「セブルス、もういい、やめるんだ」
リーマスはセブルスの両肩を強く引き寄せた。

合間の一呼吸がひどく長く静かに感じられた。


「あいつは、ジェームズは殺された!もういない!!あいつはもういないんだ・・・!」


リーマスはセブルスの絶叫を聞いたつもりだったが、それは幻聴に過ぎず、実際は掠れた力無い声だった。
その言葉の色はただただ、空虚だった。悲しみも空しさも絶望すらもない、何も存在しない、空っぽだった。


心を構成するものすべてを誰かに差し出してしまったかのような。



声同様に存在すらも空気に変換されてしまいそうなセブルスを、玩具を取り上げられる子供同様の必死さでリーマスは抱きしめた。







亡き親友に語りかける。
悪い癖だと思っているが、それを気にする余裕を彼は持っていなかった。






君は親友達と一緒にセブルスも連れて行ってしまった


  だったらせめて屍くらいは僕に遺されてもいいだろう?














ねぇ、ジェームズ?

























*)
難産でした。ラスト一話です。