彼ノ人 を 想う


act01/

自分が彼を初めて見たのは彼が崑崙に来て間もない頃であった。
つまり彼はまだ人型の取れない幼い妖怪だった。

「いい子にしていたらお父様は迎えに来てくれるかなぁ」

ブランコに乗りながら無邪気に師に問いかける彼が父親の迎えが来ることがないと気づくのは何年先なのだろう、その時が早く来ればいいと願うのと同時に来なければいいとも思った。
幼くして仙人界の遠大な計画に巻き込まれ、ゆくゆくはその歯車の一つになるだろう彼を自分は憐れんだのだ。

次に彼を見かけたのは封神計画が始まってからのことだった。
数百年経ち成長した彼はとても美しく強くなっていた。
出自に対するコンプレックスを自身で無理矢理ねじ伏せてしまうくらいの実力と名声を手に入れて、それでもねじ伏せておいたものが萌芽しないように彼は周囲に強固な壁を作り上げていた。

その壁にヒビが入り始めた。
ヒビをいれたのは計画の遂行者。その時の名前は太公望。

今は何と名乗っているのだろうか?




act02/

オレはあいつの子供の頃なんて知らない。それでもコイツ、ガキの頃も真面目な優等生で甘えベタだったんだろうなとかその頃からキレイだったんだろうなとか想像できる。
だから、ハンコをもらいに執務室に行った時あいつの椅子がもぬけの殻だったのには驚いた。
驚いた後はこの状況をどうしようかと考えた。張茎や燃燈道人に知らせてもよかったがそれでは面白くないし、せっかくサボった彼が可哀想だ。こんな珍しく面白いことはここ数十年間ない。

オレも混ぜてもらおう。
とりあえず、執務逃避した教主を探そうと思う。

待てよ。誰に聞けばいい?

太公望(懐かしい名前だ)が仕事をサボった時はデスクワークでも補佐役をしていたとうの楊ゼンが襟首を引っ掴んでどこからか連れ戻していたらしいが。
そういえば太公望の名を口に出さなくなって久しい。
その名を出す時は周囲に青い髪の教主がいないことを確認してから出すことにしているのはオレだけではない。太公望の失踪直後は頻繁に地上へ捜索に出掛けていた四不象や武吉すらも数年経つと楊ゼンの前では太公望の話題を出さなくなった。
太公望という単語を聞く度に強ばった楊ゼンの顔を思い出して、上々だった気分が少し下降した。

その理由がわかってしまってもっと下降したのは十秒後。



act03/

あの人に会ったのは久しぶり、というわけではなかった。
でも、なんだかとても久しぶりな感じがした。1週間くらい前に会ったばかりなのに。

「四不象がいなくて寂しいかい?」
そうだ。四不象は胡喜媚さんと熱海温泉に新婚旅行中だった。
「少し、寂しいです」

「まだ捜しているのかい?」

「はい!きっと見つけてみます。みなさんと約束したんです」

「みなさん?」

楊ゼンさんは首を傾げた。

「太乙真人様や元始天尊様達です」

「そうなんだ。知らなかったな」

「ご、ごめんなさい」

「いや、別に怒ったわけじゃないんだよ。だから気にしないで」

「いいえ、楊ゼンさんがすごく悲しそうだったので仲間ハズレにしてごめんなさい」

「悲しそう・・・だったの、僕?」

「はい。それにお師匠さまはよく僕に場の空気をもう少し読めって言ってました。たぶん僕は楊ゼンさんの気持ちを考えないで好き勝手言っていたんだと思います」

「そんなことないよ。みんな君がとても思いやりのある子だって知っているよ。もちろん僕もそう思っている。」

「そういってくださると嬉しいです。ところで、どうしてここにいるんですか?」

「ちょっとね。武吉君、もし誰かが僕を探していても僕に会ったことは内緒にしておいて欲しい」

「かくれんぼでもしているんですか?」

「まぁ、そんなとこかな。約束、守ってくれるかい?」

「もちろんです!」



act04/

彼が通天教主の息子だと知って、随分似ていない親子だと思った。
しかし、父と同じ座についてから今日の間でその認識は覆された。
やはり親子だ。

生真面目で仕事熱心
大雑把に見えてその実、意外と細かいところまで行き届いた目

最初は彼の下に就くことに抵抗があったが、最近ではいい上司だと思うようになった。
少し頑固だが、コツさえ掴めれば(そのコツは太乙真人やら韋護やらに教えてもらったのだが)話のわかる人である。
有給の申請も忙しい時でなければ直ぐに承認されるし。

そんなわけで、俺は有給を取って久しぶりに家族サービスに励んでいた。もうすぐ2人目も生まれるし、これからもこの仕事で頑張ろうと英気を養っていたのだ。

そう、本当にひさしぶりの休暇だった。
英蘭なんて半年も前にカレンダーに花丸をつけていたくらい楽しみにしていたのだ。

それなのに、どうして俺は休暇先の○ザー牧場の草原ではなく、無機物でできた蓬莱島教主の執務室にいるのだろう?

前言撤回

やっぱり、俺がいい上司と認めるのは聞仲様だけだ!




act05/

―が消えてどれくらい経っただろう。

今はどの世界にもいない親友。
その親友が想っていた彼が自分の居住区を横切ったのを見たのは、きっと偶然ではない。


「見つかってしまいましたか」

気配を殺したつもりで窓から眺めていたのだが、気づかれていたらしい。
そういうところは察しがいいのに、どうしてこの天才は鈍いのだろう。

「師匠や父上の近くは避けたかったので、こちらを選んだんですが、厄介な方に見つかってしまいました」

肩をすくめた拍子に蒼い髪がさらりと動いた。

「久しぶりだね」

彼は女禍との最終決戦以降、蓬莱島を離れなかった。なので、直接言葉を交わしたのは仙界大戦の終盤以来のことだった。

楊ゼンは他人に興味を示さないという点に於いても、良くも悪くも天才肌だった。
初めて彼と会ったのは、自分が十二仙に昇格した直後のことで、彼は自身の半分の年齢にも満たずにとんとん拍子に最高幹部に登りつめてしまったこちらに対して、何の感慨も示さずにひどくそっけない下位者としての挨拶をしたのだった。


「お久しぶりです。普賢真人様。金タクは元気に修行していますよ」

にっこりと整った顔に穏やかな笑みで言われて、少し驚いた。
彼も随分と変わった。本質的なところはわからないが、こうして社交辞令を違和感なくこなせること自体、かつてのいかにも天才といった風情の彼を知っている自分としては驚いてしまう。

「探しにいくのかい?」

自分の親友を、とは言えなかった。かつて望ちゃんと呼んでいた親友はこの世のどこにもいないのだ。太公望なのか王亦なのか伏儀なのか、どう言っていいのかわからない。

「わかりません。ただ、僕とあの人をつなぐものはあの星にしかないから―
細かいことは考えないようにしたんです。だって、どれだけ悩んでも答えを持っている人がいない限り、僕は永遠に囚われるんですよ。以前はそれでいいと思っていたんです。計画の遂行者であるあの人を補佐して、計画が終わったら遺された世界の管理者になって、それでいいと。
でも、なんだか、悔しいじゃないですか。まるで手のひらの上にいるみたいで!」

「もし、会えたらどうするんだい?」

「そうですね。まず一発ぶん殴ってやります。それから、僕がどれだけ苦労したかを強調して報告して、最後に吼天犬で空の彼方まで飛ばして差し上げます」

楊ゼンは指を折りながら真剣そのものという表情で実行しそうにないことを言うので声を立てて笑ってしまった。

「随分、具体的だね。会えると思っているんだ」
―彼は、始祖の能力をフル活用して逃げ回っているのに?

「普賢真人さま、僕を誰だと思っているんです?」

今までの彼らしくもない穏やかな声とも、真剣な声とも違う声で楊ゼンは問うた。
その響きは初めて会った時のあの他人行儀な声と同質のもので、これこそが彼のイデア(本質)なのだろう。

「さっきの続きですが、一通りストレス解消をしたら言おう思っていることがあるんですよ」

「何だい?」

「またお会いした折に教えて差し上げますよ」




act06/

早く・速く・疾く
壊しに来い
その蒼い髪を振り乱して、大きな瞳とお綺麗な顔を歪ませて、
速く・はやく

はやくしないと、俺が―を壊しちまうぞ?




act07/

「初めまして、太乙真人様」

思いつめた表情でそう言った彼の第一印象は真面目で内に閉じこもりがちな少年だった。

ラボでの仮眠中に少し昔の夢を見た。
 初対面から数年すると、彼は随分とこの世界に打ち解け、当初の内向的な印象は消え去った。その代わりに修行をサボったり人間界にこっそり降りるような悪癖がついていたようだけれど。
 彼自身は人の心を容易く開いてしまえる不思議な魅力を持っていたが、反面、他人を心の中に入らせはしなかった。思えばそのソツのなさは人間業とはいえなかった。計算してのことなのか否かは本人ですら把握していなかったのではないか?

昔に思いを馳せていたら、小型通信機が燃燈から緊急のアラームを鳴らした。

そして画面に内容が簡潔に現われる。

曰く、「教主行方不明」




act08/

3日間かかりきりになっているデッサンがようやく満足のいく出来になったので、そこで筆をとめることにした。三日ぶりに文化的な食事をするために。
長時間、水とタブレットしか摂取していなかった胃にはチーズとレタスを挟んだだけのサンドウィッチですらひどいカルチャーショックだ。胃の鎖国状態を解いて開国に向かわせるためには紅茶が適任だろう。

ペパーミントとレモングラスのプランターは裏庭だったかな、と勝手口を開けて外に出た。
出た途端に目が合った。

「「あ」」
奇しくも私達は二人とも同じ音を発した。

「「・・・」」
そして二人して沈黙した。



私のこれからも長い人生において、そこに彼が関わったほんの数パーセントだった。それはこれからも変わらない。何せ、文字通りに住む世界が違うし積極的に会いたいと思う人物ではないのだ。私は過去に彼と戦った。

そして負けた。宝貝での戦いというよりもっと大きな意味で、私は彼に負けた。

「―」

あの時彼が発した言葉を耳は忘れてしまった。だが、目は彼の姿をしっかりと捉えていて覚えている。
この仮初の目ではない、あの女に抉り取られた私の目がまだ鮮明に映している。

これ以上ない、というくらい完全に整った姿なのに、それはグニャリと歪んでいるのだ。まるで着ぐるみの中の人間がそれを脱ごうと背中のチャックを緩めたような。隙間から何か出てきそうな。


異様な威圧感に私は腰を抜かしそうになっていた。

何だ、この男は。
・・・何なんだ?コレは?

頭の中はクエスチョンマークの濁流だった。


得体が知れない何か。


さっきまでは敵だと思っていた相手が何か違うものに変わっていた。違う人ではなく違う何かに。
次に紡がれた言葉は覚えている。心底ホッとしたのだ。「こちらの世界」に戻ってきたと。


「そうビビらすでないよ。楊ゼン」


今も、あの男が彼の傍に居てくれたら―


私は彼の隣を見た。

もちろん、そこに人がいるはずもない。

白い犬が寂しそうに鼻を鳴らした。






→act09