エチカ



子どもの頃から、負けず嫌いだった。誰よりもたくさんの知識がほしかったし、誰よりも駆けっこを速く走りたかった。
そんな性分は15になった今でも変わらない。ミネルバ・マクゴナガルといえばグリフィンドールの主席、クィディッチの寮選手。

負けん気の強い、頑固で融通の利かない監督生。




「姉さんはあの人のこと、愛してるの?信じられない」
「あなたにはわからないことよ。たしかに、今回はこんなことになってしまったけれど、普段はとても優しいし私をとても大切にしてくれるのよ」

日常的に夫に暴力を振るわれている5つ年上の姉は右腕を骨折しているというのに、夫のことを話す姉はチョコレートファッジを食べているような甘い表情だった。

「早く、家に帰りなさい。嫁いだ娘がいつまでも実家に戻っていたら、お前だけでなくミネルバたち妹の評判にも関わるのだから」

母は、姉に嫁ぎ先へと戻れと言う。娘の腕を折った男の元へ―!


理解できない。いや、わかりたくない。


いつのまにか右頬が熱かった。
母に打たれたのは、初めてだった。







「で、馬鹿正直に言って怒られてしまったわけだ」

一晩経っても腫れが治らない私の頬に薬草を塗りながら彼は呆れ声で言った。
久しぶりに実家に帰った私を文字通り腫れ物を触るように遠巻きに見る同級生たちを尻目に彼は私の腕を引いて無言で空き教室まで連れて行ったのだ。

「陳腐な言い方かもしれないけれど、私、男の子に生まれたかった」

「それは困るな」
「どうして?」
「君が男だったら、僕はこんな風に君を手当てしたりしないだろうからね」
「あら、何それ?」
「それと、こんなにも仲良くなっていなかっただろうしね。少なくとも、君に付き合って朝食を食いっぱぐれるほどには」
「私は薬を貸してほしいと言っただけよ」
「はいはい、ほら、瞼に塗りたいから目閉じて」

言われるままに、目を閉じた。私のせいで彼が朝食を食べられなかったのは事実だ。
薬草によって腫れた瞼が冷やされていく。

「自分の考えをきちんと伝えようとする君には尊敬の念を抱いてるけれど、少しは保身も考えてくれよ」
「あなたが私を尊敬しているなんて知らなかったわ」
「尊敬してるさ!君はこの学校で唯一、僕を負かすことができる貴重な人間だし、グリフィンドールなのにこんなにも本当に不思議なほどに馬があう」

彼の言葉は素直に心に響く。認められている、と感じるのはとても嬉しいし、それを言葉で言われるのはもっと嬉しいことだ。

「だから、あまり無茶しないでほしい。女の子なんだから、顔にキズが残ったら大変だろう。とても綺麗な肌なのに」

あぁ、やっぱりそこか。
私なんかよりずっと美しい顔を持っている彼に褒められて嬉しい反面、頭の醒めた部分では落胆していた。さっきの彼の言葉のなかの『負かすこと』にはきっとクィデイッチは入っていないのだろう、と。
私はすべてにおいて対等かそれ以上でありたいのに。

「ねえ、トム。どうして私にこんなによくしてくれるの?」

私達のつながりは深くはない。この学校においては寮が違うというだけで、随分と接触は少なくなる。そんななかでも、敵対寮同士なのに一日に一回は顔を会わせる私達は珍しい部類に入るだろう。勉強だって、私が彼より勝っているのは変身学や史学くらいで、ほかは次席といってもかなりの差がそこにはある。同じくクィデイッチの寮選手だが、私は彼の先を飛んだことが一度だってない。彼に認めてもらえるのはとても嬉しいが、もし私がトムの立場ならば私は私を尊敬などしないだろう。

「君がそれを言うのかい?」

なんだろう、この声は?怒っているわけでもなく悲しんでいるわけでもない。強いて言えば―拗ねている?

「どういうこと?」


右の瞼に一瞬、柔らかいなにかが触れた。


「薬代と手当て代はもらったよ。それじゃ、僕は先に行く」

目を開けば、トムはもう食堂へと向かっていた。彼がいつもよりも早足に見えるのは片目が塞がれて遠近感がなくなっているからだろうか。


彼の姿が見えなくなるまで、私は立ち上がらなかった。

















*)
ひっさしぶりのリドミネでした!
今回はちょっとは俺様にいい思いをさせられたかな、と思います。まぁ、トータルでは相変わらずすれ違ってるなーこの二人!的な話でしたが。
姉の話は「欲望という名の電車」を参考に。
タイトルはこの話を思いついたときに出席していた大学のテキストからで、スピノザと関係がある思われますが、全く知りません(爆)
一応、40のお題で短文では描ききれなかった要素を今回補完させてみました。女と女とか初体験とか彼と彼女とかのお題です。