野営地から姿を消した師叔をみんなで手分けして探してほどなく、僕は桃の木の下で舟を漕ぐ師叔を見つけた。

「まったく、あなたって人は」
「こんな良い天気なのだ。たまには外でこうやってのんびりするのもいいだろう」




まどろみに堕ちる




首根っこひっつかまえて、連れ戻したかったのに、珍しくやや強い口調で軍師の命令だ。と言われれば従うほかなく僕は隣に腰を下ろした。

芳しい桃の香りが上から降ってくる。空は青く晴れて、日差しはとても柔らかく、春らしい陽気だった。
いつの間に季節は冬から春に移っていったのだろうか?
日々の忙しさにまさに忙殺されて気づかなかった。もう少ししたら、この木の花は散り、実が熟して師叔の大好物が実る。


師叔は普段あまり自分の考えを口にしないけれど、この時はとても饒舌だった。
効率的な軍の設営の手順や食糧供給のシステム化、仙界の一寸した噂話。
僕は砂が水を吸収するように師叔の話を夢中で聞いた。

「軍師は羊飼いに似ておる」

兵を勝たせるために、羊を肥やすために、いかにリスクを抑えてそれらを率いるかを必要とされるところがほんの少しだけ、とぽつりと師叔は言った。

「じゃが、軍師のほうがまだ楽だとも思う」
「どうしてですか?」

「軍師には道が用意されているが、羊飼いの道は草原や荒野、道なき道じゃからの」

「道、ですか」

街道沿いに進軍すればその最終地点は朝歌だ。たしかに標的まで一直線。
でも、結局師叔に与えられた役目がとても困難極まりないところは同じだ。たしかに師叔は軍師だけれども、そうでであるのと同時に羊飼いでもあるのではないか。

師叔の力になりたい。僕にはできる。だから、はやく野営地に帰って仕事をしたい。スケジュールは予定からかなり遅れている。一刻の時間も惜しい。
心は逸る。
それなのに、先ほどから桃の香りと師叔のまったりとした声が催眠術のように僕を眠りの世界へと手招きする。
もう師叔の話題は軍師の話から先日ナタクと雷震子がやらかした一件に移っているのに。


そうして僕の理性は陥落して眠りの世界へと堕ちてしまい、結局、日が暮れるまで目が覚めなかった。師叔は僕が目覚めるまでとなりに座っていた。
起こしてくれればよかったのに、と恥ずかしさと気まずさから詰る僕に師叔はたしかこう言ったような気がする。

「あんまりにも気持ちよさそうに眠っておったから勿体なかったのだ」



思えば、あれは連日徹夜続きで疲れていた自分に対する気遣いだったのではないか。
そんな考えに自分が思い至ったのはもっとずっとずっと後、師叔がいなくなってだいぶ経ってのことだった。



昔、僕は一人で何だってできた。何だって持っていて僕と師匠がいれば満たされている。そのつもりだった。
そうでないことに気づかせてくれたのは師叔で、僕の空っぽで足りない何かを師叔は埋めてくれた。それは言葉に表すのが勿体ないくらい、僕は満たされていた。


だから今の僕は抜け殻だ。

師叔がいない。

もういない。

僕はぽっかり空いた空間に気づかないように振る舞う。師叔の思い出を消費して満たされた顔を作って。

でも、いつか思い出も摩耗してしまうのだ
母を忘れかけた幼いころのように、師叔も曇りガラス越しに見る世界のようにおぼろげな記憶として処理されていくのだろうか?

そうして、ゆっくりとまどろむように師叔のいない世界に慣れていくのだろうか?









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「モラトリアム〜」前のうだうだ悩んでるころの楊ゼンです。