モラトリアムが終わる時





女禍を倒してからしばらくして、人と妖怪の仲は徐々に良好になっていった。

四不象は喜媚と結婚式をあげることになった。
久しぶりに仙界に居を置くほぼ全員が集合することになった。

何かと不貞腐れることの多かった王貴人も姉の晴れ舞台には参加する。神界からもたくさんの祝電が届いて、式中に次々と読まれた。

「やっぱ似てるわ」
「何がッスか?貴人さん」

喜媚のすぐ隣に座っている貴人がぽつりと呟いたのを、ふさふさした毛に埋もれた耳で聞いてしまった四不象は思わず聞き返してしまった。

「何でもないわ」
そっけない態度は未だに変わらないが、酒が入っているためかいつもよりもぶっきらぼうな言い方だった。


「これから大変だね。四不象」

おそらく、二人のやりとりを見ていたであろう楊ゼンが四不象のテーブルにやってきた。
珍しく、彼は一人だった。いつもは補佐役の燃燈道人や韋護、太乙師弟などといった面々に囲まれているのだが。

形式どおりの祝辞を新郎新婦に述べている楊ゼンに貴人が言った。

「ちょうどいいわ。あんたこっちの席に座りなさい」
「こっちの席って。僕の席はあっちの執行部席なんだけれど」

蓬莱島の教主である彼はこの式の主催者である。ちなみに司会進行係は武吉だ。

「四不象サイドは両親二人(匹?)座っているのに、喜媚姉さまサイドは私だけっていうのはバランスが悪いでしょう!言わなきゃ気づかないなんて教主が聞いて呆れるわ」

楊ゼンは一瞬、貴人の言い様にムッとするが気を取り直したようで

「そうして欲しいのならもっと言い方があると思うけれど、いいよ。そっちに座ろう」

あっさり了承した。



宴もたけなわで、式は盛り上がり、もはや無礼講の様相を呈している。
貴人は隣で笊のように酒を飲んでいる楊ゼンを見ながら、その飲みっぷりに今は傍にいない長姉を思い出す。

「姉さまがこの光景を見たらなんて言うかしらね」
「妲己が?別に驚かないんじゃないかい?四不象と喜媚がこうなることはあの時予想がついただろうし。むしろ式をあげるまでこんなに時間がかかるなんて思わなかったよ。四不象もよく逃げたねぇ」

これまでの新郎の逃げっぷりを思い出して楊ゼンは苦笑する。

「そうじゃないわよ。わかってて言ってんでしょ。そういうところもあんたら似てるわ」

意味深な発言をする貴人を問い詰めもせずに楊ゼンは酒を口に運んだ。まるでその先を促すように。
自分の言葉に全く動じない楊ゼンに苛立ちを見せながら、貴人は注いであった酒を煽って話を再開する。


「あんたの父親はほとんど姉さまの手のひらだったけど、ひとつだけ姉さまの思い通りにならなかったことがあったのよ」


父親の話をされても楊ゼンは表情を変えなかった。
彼の父である通天教主の死に貴人達は間接的、「姉さま」は直接的に関与しており、その貴人の口から父の名が出たことに対して何らかのリアクションがあってもいいはずなのだが、若い教主は口元を笑みの形に保ちつつ杯を傾けているだけだった。


―最近、楊ゼンは穏やかになった
とは仙界の主だったメンバーがよく口にする科白である。


確かに、付き合いの浅い貴人から見ても教主に就いた直後から比べて威厳というか貫禄のようなものが所作に現れるようになったように感じる。前は妖怪と人間のイザコザ、那咤と雷震子が頻繁に起こした破壊活動に顔を真っ赤にして怒ったり、苦い顔をしたり、どん底に突き落とされたような顔をしたりと表情が忙しかった。
しかし、今では怒り、悲しみ、憤りなどのマイナスの感情を滅多に表に出なくなり、微笑んでいることが多くなった。役職に慣れてきたということもあるのだろう、大事が起こっても困ったように首を傾げながらも微笑を崩さずに適切な対処に当たることができるほどである。


「姉さまはあの子を引き取りたかった。生まれて直ぐに手放してしまったけれど、いつか迎えに行く予定だった」

「・・・」

彼は酒を飲み続けている。テーブルのそこかしこには趙公明から贈られてきたワインボトルが数本、空になって転がっている。もはや、片付ける者もいないほど会場は盛り上がっていた。

「もし、あの時、姉さまが・・・」

自分でも何が言いたいのか貴人はわからなくなってきた。
アルコールで頭がかなり可笑しな状態になっているにちがいない。

だからどうしたというのだろう。

もし姉があの時に彼を迎えに行っていたら、封神計画は大幅な変更を余儀なくされていただろう。それとも彼が果たした役を王天君が代わりにすればいいだけのことだろうか。

いや、そういうことではない。

もし姉があの時にあの子を迎えに行くことに成功していたら、あの子は現実よりも幸せな幼少時代を過ごせたのだろうか、それともその才能を利用されるだけだっただろうか。

死産した可能性に思いを馳せるなんて自分らしくもない。


「母親というのは、産んだ子供に愛情とか、何かの執着を持つものなのかな?」

彼の口元は相変わらず笑みの形だったが、瞳は違った。
らしくない自分を誤魔化したくて、貴人は彼の言葉を否定しようとしたが、思いとどまった。

「そんなこと聞かれても私は母親になったことがないからわかんないわよ。ただ、世の中の母親全てかどうかは知らないけど、姉さまはそうだったんじゃないの?」


だからこそ、トレードされた王天君の「ママ」になったのだろう。所謂、代償行為というやつだ。術で操るだけなら、あんな回りくどくリスクの高いことはしなかっただろう。
しかし、貴人には自分の言葉に自信はなかった。

それでも、否定しなかったのは楊ゼンの瞳のせいだ。先の言葉を吐いた時だけ、楊ゼンの時は200年前の父親に捨てられたと思い込んでいたあの子供に戻っていたような気がしたのだ。

貴人の言葉を聞いた楊ゼンは少し目を見開いて、そして、笑った。
ようやく、顔のパーツ全部が笑ったような気がする。





「貴人。ありがとう。これで・・・」

その先は乱入してきたもう一人の姉のために聞くことができなかった。









教主が仙界から姿を消したのはその数日後だった。









*)
時系列的に「彼ノ人を想う」の前の話です。
JC13巻で楊ゼンが「その時(金鰲島に潜入した時)自分の父、母を知った」と意味深に言っているにもかかわらず母親は終ぞ出てこなかったので勝手に妲己という推測を立てました。
楊ゼンは笊、というか体質的に酔わないという設定です(どうでもいい)