マスキングは解かれた 「太公望よりも、あなたの方が仙道らしいですな」 何気なく呟いた言葉に彼は苦笑した。 「まぁ、師叔は仙道らしくないけれどね。でも、僕も仙道らしい仙道ではないよ」 なぜかと聞いてみた。私のあった仙道の中でもっとも思い描いていた像に近いのが彼だったからだ 「君は僕が天才道士とよばれているのは知っているよね」 まるで教師が前回の授業内容を確認するような態度で彼は言った 「もちろん」 知っているに決まっている。 「天才というのはね、他の人と違うということでしょう」 「ですが、それはあなたの変化の術に対しての称号でしょう」 「まぁね。細かいことを言う前にまず天才ってなんなんだろうね」 「天賦の才を与えられた者」 「辞書どおりの正答をどうも」 また彼は少し首をかしげながら苦笑した 「僕の腕は2本しかない。それは君も同じだしほぼすべての人間は腕を2本しか与えられていない。それと同じで天才も凡人も基本的に大差ない」 持っていた湯のみを空にして、私に見せた。 「このコップに例えるとしようか。僕はこっちのやや大きめの方で普通の人はそっち。入る水の量はそんなに変わらないだろう」 何を言いたいのか分からない私はとりあえず頷いた。 「狐につままれたような顔してるね」 狐、と聞いて私は少し不愉快になった。その単語は殷を滅ぼそうとしている私達、周には不吉な言葉だ。そんな私の内心に気づかず彼は話を続けた。 「君は人生で一番大切なことは何だと思う?」 「人それぞれでしょうな」 「そういう可愛げのないところ、直さないとモテないよ」 「これが私ですから。それと、私は小兄様と違ってもてなくても気にしませんから」 「あぁそう。じゃあ、俗物的に出世とかにしようかな」 そう言って、「普通」の湯呑に茶を足す。彼の湯呑には足されない。 「次に趣味、友情、恋愛、金銭・・・」 「普通」の湯呑にどんどん茶が注がれていく。対して彼のそれにはほとんど茶が入っていない。 「こういうことさ。僕は功夫を積むこと以外にほとんど興味がない。このコップは「功夫」という茶で一杯になっている。そっちの普通のコップにはもうすでにほかのお茶が入っているから「功夫」の入る余地は少なくなるだろう?」 「なるほど、他の仙道よりも功夫以外のことに構っていないあなたは一般的な仙道とは言い難いというわけですか」 「そういうこと。察しがよくて助かるよ」 額面どおりにその言葉を受け取っていいのか迷った。 私が最初の段階で彼の意図に気づいていれば、こんな懇切丁寧な説明をせずに済んだというのだから。 「これでこの話はお仕舞い」 私の内心の葛藤などお構いなしに彼は湯飲みのお茶を飲み干して、また注ぎ足した。 気まずい沈黙が流れる。 いや、気まずいのは私だけなのかもしれないが。 何か話題を提供しなければ、この何ともいえない空気を取り払うことができない。 話している時ならともかく、常人離れした容姿の彼と黙って向き合うなど、いくら私でも気まずいものがある。 随分長い時間をかけてようやく話の種を見つけたが、彼の興味は私から窓の外に移ったようだった。 私は少しほっとした。 彼に倣って外に目をやると、そこには私と彼が勤務時間中にもかかわらず手持ち無沙汰に茶をしばく原因となった男がのんびりと霊獣と一緒に歩いていた。 いつもの説教をおみまいしてやろうとした私の声は、窓辺に頬杖をついた彼の言葉に消された。 「興味がなかったんだ。師匠以外のヒトにも宝貝以外のモノにも」 ぽつり、と呟いたその時制は過去形で、私に向けられたものではなかった。 一人、自分の世界に没頭している彼をそのままにしておけばいいのに、魔が差した私は彼に問うた。 「後悔しているのですか?」 今までの生き方を、とは言えなかった。 「後悔?まさか!」 彼は即座に否定した。その鮮やかさといったら、なかった。 「違う生き方もあったのかもしれないね。でも、天才でない僕はもう僕ではないだろう?」 初めて、彼が私に真摯な顔を向けた。 何か思いつめたような切羽詰った彼の表情を私は知らなかった。 だが、そうしていたのも束の間で彼の視線は未だサボタージュを続けている我らが軍師に向かった。 深呼吸して上司である相手を叱咤する。 「師叔!遅刻は厳禁だとあれほど言っておいたでしょう!」 その時の貌がとても誇らしげだったから、私は密かに彼の湯飲みに茶を足しておいた。 *) 拍手から加筆修正。タイトルがついたのと、ラストを少しかえて、楊ゼン自身による天才の解釈とジレンマの吐露。 あれー?おかしいなー。加筆しても太公望が遠めにしか登場しないYO! |